はいじどう、ぜんじどう。

なんでも自動で出来る時代になると思ってたらそうでもなかった。

自由に生きることへの憧れ

そもそも私のような仕事以外では人と接することのない人間が毎週毎週奇想天外な人と仕事すること自体かなり体力も精神力も削られるわけなのですが、"人に感動を与えるもの"ってどんな経歴の人でも生み出すことが出来るのだと感じることができる日々を送っています。それにしても脳みそがついていけない。次はこのアーティスト、次はこの人、次はこのブランド・・という感じでアップデートを週ごとにしていくのですが、中途半端に知ることが嫌いなので、その人が発信しているSNSがあれば隅から隅まで見ますし著書があれば買いあさってお会いするまでにがっつり読みます。それを毎週(正確には仕事そのものは三週くらい前にいただくので、情報を入れる時間は二週間程度)やってるんです、仕事とは別で。もうね、いろんなことを知りすぎて頭パンク状態。良いことなんでしょうけど、加減しないとだめですね。

そんな中、たまにあるんですけど経歴をほとんど明かしていない方でどういう人なのかもわからないっていうパターン。でもファン、顧客が非常に多いという。これが一番調べるのに燃えるんですけど時間もかかる。素顔を明かされていない方も多いので、実際お会いしてもちゃんと見極めないとご本人なのかそうじゃないのかもわからない。この場合は偽情報も多く出回るので本当に見極めるのが大変です。

さらに問題なのはこっちが、しょぼしょぼちんちくりんで「この人は自分の仕事のどこで関わってきた人なのだろう」みたいな印象を与えがちな自分の見た目。笑

今回の施工では監修と、お渡ししているプランと図面を描いているのが私です!って説明する時間があればいいのですがそんなことをしている暇もなくだいたい施工は進んでいくので、謎の人物のまま終わることも多いです。あいつなんだったん?と思われていることでしょう。

 

予習ができているかどうかで施工のやりやすさが違うので、図面描いてる途中でその人本人のことや作品のこと、全部調べていきます。その上で最近思うことがありまして。

 

普通に中高生やってきて美術を学んで就職まで至った私なんかは、オリジナリティで人を感動させることはできないんです。商業デザイナーってそういうところが悔しいんですよね。それに比べて自由に生きて自由に表現してきた人ほど、本当にすごいものを作り上げることができる。誰が見ても感動するというわけでもなくて、一部の人にものすごく刺さるものを作れるというか、これはバックグラウンドを知ったらもっともっと深みに嵌るのだろうなと思えるような、深い作品を作る方が多いように思います。

 

尤も、私がそういう風に自由に生きてきたらどうなっていたかと想像しても何も浮かばないので今の生き方でよかったのかなとも思いますが、なにはともあれみなさん共通しているのは「ゆるく、かっこつけすぎず、かといって自分は崩さず、人に優しく、怒っても仕方ないしゆっくりいこうよ」というスタンスの方が圧倒的に多いこと。だから初対面でピリッとした空気の中で仕事していてもご本人だけは「ありがとうございます」「いい感じにやっていただければそれで充分です」「展示の仕方はデザイナーさんが一番わかってるから、任せます」とにこにこされていることが本当に多い。まあもちろんこっちにミスがあればしっかり指摘してくださいますが、このゆったりしたスタンスを見習いたいものです。

 

取引先で見た目めっちゃ怖いやんけえええええっていう方が多い(メンズでしかもストリート寄りの仕事を多くやってるんで仕方ないんですけど。笑)からだいぶ度胸つきましたね。人は見た目じゃないですよ。それはここ最近特に感じています。私も金髪にでもしようかな。←言ってることがちぐはぐ