人が作り出すものにある危うさと美しさ
ものすごく久しぶりにここを開きましたが、なにを隠そうとてつもなく忙しい日々を送っておりまして、一息つく間もないくらい一分一秒が短く感じる毎日です。
責任感のある仕事を任され、一旦は終えたのですが、再び同じようなプロジェクトが動き出しまして今回は関わる人数が三倍に。しかも全員わたしより経験値も立場も遥かに上の人たちで、この人たちを従えて先頭に立たねばならないので前よりも遥かに重圧がすごい。
朝から晩まで誰かしらに何かを聞かれ、その都度図面を作り、打ち合わせに行き、あちこちに確認をとっては修正し、という繰り返し。一日で一気に進むこともあれば、二週間前に戻されることもあります。心が折れている時間も与えられないので夢にも出るしそもそも眠れません。体力も精神力もないと全く成り立ちません。十数年前、まだ物凄くお金も時間もかけられた時代の追い詰められる雰囲気が久しぶりに戻ってきた感じがします。
私たちが作り出すものは、デザインからなにからすべて人工物です。
自然からなるものは何一つありません。
自然のなかにあるもののように本物そっくりに作る、ということはしょっちゅうやりますが、それも人工物。結局は作り物です。
一週間や二週間で解体されるその人工物は、その間に何か事故があったりしてはいけないので危険な作りや見た目にすることは基本的に許されません。重量、重心、色々な計算もします。その上で安全なものを作っています。
街中でクリスマスに見かけるツリーなんかも、大きくて綺麗ですが、そういったことを深く深く考えて設置されているものばかりです。地震が起きた時、誰かが寄りかかったとき、引っ張ってしまったとき、そういう予期せぬことまでふまえて物を作っています。
人が考えるからこそのバランスの危うさと美しさが表裏一体となっている造作が世の中にはたくさんあります。私には理解できないようなアンバランスな作りも、本当に世には溢れているなと思います。
そういう意味で、誰かが考えたデザインで、誰かがそれをリデザインして作り上げて、さらにはそれを解体するまでの工程がひとつの芸術品というか、街全部がミュージアムのような感じに思えてくるのです。
ここに至るまでに何人が頭をなやませたのだろう。
何人が汗水たらしたのか。
相当な人数が関わっていただろう。
色々と考えます。
久しぶりにきつい日々を送っていますが、これを完走しきったら一つ成長できるのかなという前向きな気持ちで頑張っています。
バランスの悪い物って、ぱっと手を離して「はい!どうぞ!」って見せられた時、ものすごく美しいですよね。綺麗に三角に積み上がったトランプ、シャンパンタワー、点で積み上がった石、どれも危ういのに美しい。
そういうギリギリの美しさを目指して今、私自身の限界にも挑戦しています。