はいじどう、ぜんじどう。

なんでも自動で出来る時代になると思ってたらそうでもなかった。

「行きたくない」

ついに8/31がやってきます。

今は地域によって夏休みの終了のタイミングが異なりますが、概ね8/31が夏休み終わりのイメージで浸透していると思うのでこの話題。

私も学校はあんまり好きな方ではありませんでした。

いじめられていたこともあったし(人って何かちょっと違うところがあるとすぐいじめるし人気者にもなる。この境目は難しい)、中学校は楽しかったけれど、行きたかった高校に入ってみたら学力のレベルがアホほど違いすぎて絶望して高校生活は本当にしんどかった記憶しかないです。ついていくのでやっと。聞けば、私が入ったタイミングが「初の外部生受け入れで偏差値の底上げをはかった」時で、頭のいい子たちが同級生にずらりと並んだ年だったみたいなんですね。ま、そのせいで風紀が乱れたのでまたすぐ中高エスカレーターに戻りましたけど。

社会的にもギャル全盛期で、どの公立に見に行ってもギャルしかいなかったからどうしても私立に入りたいとお願いして、規則の厳しい私立の受験一本で行かせてもらいました。入学したときの成績はそこそこ上だったはずなのに瞬く間に急下落。外部生が帰国子女ばっかなんて聞いてないもん、そんなん敵うわけないやろがい。

 

「行きたくない」

が言い出せなかったのには、どうしても私立がいいんだと言い張ってしまったことが要因なので親に申し訳なさを感じていたからだと思います。友達もいたし、その頃は楽しいこともあった気がするけれどどうしても馴染めない。勉強できないと周りと話ができないんです。みんな語学の話とか数学の話しかしないから。もうね、苦痛も苦痛。私にもうちょい楽しい話をさせてくれ。

はーーーやだなぁ、行きたくないなぁ、って思っていると寝坊したりするんです。とにかく起きられない。そんな日々を三年なんとかやりすごして、美大入ったら面白いように学校に行くのが楽しくなりました。始発で行って閉門までいて帰ってくるような毎日だったけど、それでも全然苦じゃなかった。やりたいことを見つけると人間は変わりますね。四大に通う人ってだいたい「人生で一番遊べたのは大学」って言うんですけど、短大だった私にとっては人生で一番勉強したのがこのタイミングでした。今でも胸を張って言えますが、しょぼい美大を出たとは思えぬ企業(ブラックですけど)に勤められているのはこのときについた根性のおかげだと思っています。

 

はてさて。

「行きたくない」

ってどうして言い出せないのか、子供の頃って不思議なもんで親にこういうことをうちあけようっていう考えがまずないんですよね。

なんで行きたくないかがわからないから上手く話せないんです。

だから、よく「つらいときは親に、先生に言って、行かない選択肢もある」と記事で見かけるんだけど、いやいやそうじゃないんだよと。わかんないんだって、なんて言っていいのか。友達が意地悪するから、とか、自分の成績の落ち込みがつらい、とか、ありふれた理由がきっかけなのかもしれないけれど本人が思っている深刻な思いとは裏腹に大人というのはそういうのを重く捉えないんですよ。だってなんやかんや自分もあったくせに全部さらっと流して結局普通に働いているし普通に生きてますからね。わたしたち大人もそんなようなことがあったけど、なんとかなるよ!って言われるのが目に見えているから言っても仕方がないなとなるわけです。少なくとも私は、学費のこともあったけれどそういう風に思っていた。なんとかならないんですよ、子供の悩みは。

 

それに気づいたのは、毎年この時期に「行きたくないときは、行かない選択肢もある」という記事を見るようになってからです。ようは大人になってからなんですね。

子供の頃はそんなことを言い出す雰囲気でもなかったし、大人というのはきっと子供の悩みを聞き流すものだろうと思っていた、だから言わない子が多いのかと。何が悪いって、大人の「なんかあったら言ってね(言わないとわかんないよ)」の押し付けだと思うのです。

言う前に気づくのは非常に難しいですが、なにか抱えている人というのは挙動も違ってくれば言動にも出てきます。大人でもわかるんです。辞めていった、心の病気を抱えた後輩・先輩を見ていればわかりやすく出ていたのがわかった。ちゃんと見て、聞いていれば子供ならよりよくわかると思います。

私は子供を産まない人生だったけれど、子供が近くにいたらそういうことにちゃんと向き合っていける母親になりたかったです。ま、仕事だなんだでそんなことが出来なくて、結局自己嫌悪に陥ってしまうのがオチだけど、それでも自分の経験を流して終わらせるのではなくて活かしてあげることはできたかなと思います。

悩みがありそうな人には、どうでもいい話題からなんとなく話を聞き出してあげましょう。それだけでも何か違うかもしれません。

 

毎年陰鬱とした秋を迎えている気がしますが、ちょっとでも笑っている子が増えるといいなと思いますね。