はいじどう、ぜんじどう。

なんでも自動で出来る時代になると思ってたらそうでもなかった。

いい日旅立ち

元旦那さんと知り合ってもう12年になりますか。不況真っ只中に入社してきて、ゆとりもゆとり、なんも基本がなってない連中で手を焼いていましたが、いつの間にか成長してすっかりいろんな人たちから頼られるようになりましたね。

今日9月30日、元旦那さんが会社を辞めていきました。

私がいて、やりづらかったところもあるでしょう。それ以上にやり甲斐やお金の面、不満も多かったと思います。半年前に決めたということだったので、あれがきっかけかなというのは思いあたりますが、なんにせよ会社は勿体無い人材を失いました。間違いなく彼はプロでした。

 

外注から契約社員になって苦労していた私を、まわりから固めて正社員にしてくれたのも彼でした。私の実力を認めながらにこき使う会社によく訴えてくれていました。そこから総合職に上がったのは自分の力でしたが笑、とても感謝しています。私の生活が安定したのはこの人のおかげでした。

 

結婚生活は短かったけれど、長くつきあったのでいろんなことを知っています。全然結婚に向かなくて、なんなら付き合ってるだけならいまでも続いてた可能性が高いですね。それくらいにはとても楽しい毎日でした。やはり同業者どうし、悩みなんかも話しやすかったからです。

 

すべて、私が悪いと思います。

書けないこともありますが、私は傲慢でしたね。

私の方が稼ぎがあり、忙しく、家のことができない状況で、それなのにどんどん遊びに行きたがる彼に苛立つようになりました。車も完済、もうあとは家と子供だとなったときに私の中で「こんなに遊んでお金もなくて何を言っているのか、私が働けなくなったらどうなると思っているのか」という気持ちが膨らみました。これの逆パターンはよくあることだと思いますが、私はどうしても自分の好きなことを犠牲にしてまで遊んだり子供をもったりということができなかった。遊ぶのが好きで飲みにもいき、私が夜遅く帰ると寝てるばかりの彼に、もう無理ですごめんなさいと泣いて伝えたのは私でした。

今思えば、私がもっと歩み寄るべきだった。

仕事はセーブできなくても、自分が稼いだ分をわかちあうことを嫌と思わないような明るさが必要でした。そんなことすらどうでもよくなるくらい、忙殺されていた私は当時ぼろぼろでした。わかってあげられる余裕がまるでなかった。本当に申し訳なかったと思います。

 

離婚後は水を得た魚のようにお互い好きなことをして、のんびり暮らしてきました。それくらい、やっぱ根本は全然違っていて、好きなことはできないし我慢もしてたんだなと思いました。

一番は料理。

私だっていろいろやりたかったのに、作ったものをあまり食べてくれなかったんですよ。笑

だから途中であまりやらなくなっちゃったんですけど、これは独り身になってから自由にできて楽しいです。

 

楽しかったこともつらかったことも、全部会社を通して繋げてくれた縁に感謝をしつつ、ちゃんと働き口を見つけてさらにはコロナもおさまった頃にまた集まろうねと笑って送ることができました。

 

これで、私と元旦那さんの色々あった10年に幕を完全に閉じることができたと思います。友達として、という都合のいい言い方はよくありませんけど、これからもいい関係を保っていければと思います。

飲み過ぎは良くないぞ。

身体には気をつけて。

頼むから早く就職するんだ。まずはそこからだ。