はいじどう、ぜんじどう。

なんでも自動で出来る時代になると思ってたらそうでもなかった。

せいせいしたという話

そもそも私は仕事か子供かをとれと言われたら真っ先に仕事、と答えるような人間だったもんで、そういうところも元旦那さんとは意見があわずに別れた経緯があります。もちろん欲しいなと思った時期もありましたが、今できたとして、私のやりたい仕事は全うできるのか?収入が減るが、大丈夫か?などという心配が募り、結果的には「年齢も年齢だが、今じゃない」というのをずっと思っていましたね。
私が結婚する前から、自身の周囲にぽつぽつと子持ちの人が増えてきました。

そりゃ良いことですよ、おめでたいことです。いやぁ大変だよ〜なんていう話もよく聞きましたし、仲のいい夫婦に「実は子供ができて」と打ち明けられたときは感動しましたね!
やっぱりいいことは、いいことなんです。

いいことなんですけど、どうにもこうにも止まらない「子供がいる家庭にしかわからないよね」苦労トーク。そして、「本当にうちの会社には育休からなにから手厚くしてもらって〜、でも子供いながら働くのって一番いい!子供がいるバリキャリが一番最強!」みたいな謎マウント。

 

いや、もういいですって。

 

職場でも同年代くらいの人たちが延々子供の話ばっかりしてて、まあまあうんざりしているというのに、もう身の回りの人たちまでそんなんされたら、、、そんな子供って大事ですか、、いや大事なのはわかるんですけど興味もないし、なんならその道すら絶たれてるんで聞きたくもないこと聞かないとダメなんですかね、、っていうストレスがすごくてですね。

まずひとつその回路を潰そうと思って、Facebookをやめました。

私としては友達どうしで繋がっててすごくよかったんですけど、なにより元旦那さんのお友達(と、私の友達の旦那)が悪ふざけして私のことを見下した投稿を目にしたことが離婚への大きなきっかけにもなったので、こんなツールそもそもいらん。と思ってやめてみました。そこでしかつながりのない友達もいましたが、その子たちも投稿することといえば、セレブレティな日常や子供のこと、あと子供のこと、あとセレブな生活、それと子供のことでしたね!中途半端に良い学校行っちゃったんで、結婚している人はセレブな子が本当に多いんです。天と地の差なんです、私とは。

でも、そういうのもわかって「いつも忙しそうにしてて昔からそうだけど、好きなことを仕事にできてるって羨ましい〜」とかわざわざ言ってきちゃうんですよ。ちーがーうーだーろー!!(懐かしい)それが言いたいんじゃないんですよ。忙しそうな私がかわいそうなんです。羨ましい?好きなことをしている私が?それを仕事にしてて、子供もいなければ家庭も持っていない私が自由で羨ましいと?

どんだけ言いたいことのオモテとウラがあるんですか?と。

 

卑屈になるな、むしろ羨ましいだけでは?なんていう声も聞こえてきそうですが、これ同じ状況におかれたら文句も言いたくなると思いますよ!ようは不妊治療している人にあててわざわざ子供ができたことやその過程、産まれるまで延々どうだこうだと報告し続けることが世間的にはどうなんだって思われていることに似ている、、わけではないんですが、不幸な道を歩んでいる人間としてはわざわざそんなもん見たくもないんだよっていうことなんです。
それを相手に「そんな報告いりませんけど」なんて言えないので、自分から身を引いたと。そういうわけなんですね。Facebookがないだけで私はだいぶ平和です。なにも報告してないと、あれからどうした〜?彼氏でもできた〜?とか言ってくる無神経なやつもいますからね。そういうのからもおさらばできたのは最高です。

ドラマ「先生を消す方程式」で、『(忖度だけで繋がるようなら)友達なんかいらない』という義経先生の言葉がありましたが、あれはよかったですね。私もそう思います。最終的に友達がいなくて一人になったとしてもいいですし、一人でも心配してくれる人がいるのであれば私はそれだけで幸せです。

ま、これで「充実ライフを見せつけていた者どうしの薄っぺらい繋がり」は無くなったので、ようやく自分の人生だけを見つめて謳歌していけるかなと思います。

 

結婚する前から嫌だったんです。

そういう、嘘みたいな薄い繋がりが。

 

友達だと思ってなかったとかじゃなくて、お互いが「あの子より」「あの家より」ってどこかで思ってるのがわかるような、そういうつきあいが心から好きじゃなかった。

 

せいせいしましたよ。

 

そんな金曜日の夜です。