はいじどう、ぜんじどう。

なんでも自動で出来る時代になると思ってたらそうでもなかった。

必要な存在・そうでない存在・果たしてどちらか。

半年で何人も辞めるような部署なんで、新しい人が入ってきても全く信用できないのがもう何年も続いています。というわけで、一年で一番嫌いなのは四月です。ようは新たに入ってくる人間を受け入れられない体質というわけです。あぁ、また一から人間関係を構成しなくてはいけない。もうそれだけで面倒で面倒で嫌なんですね。歓送迎会の部類も大嫌いで、もう勝手に出てったらええやん、入ってきてそのうち馴染むんやから必要ないやろ飲み会。っていう考えの人間なので、本当に本当に心から四月は嫌いです。

ただですね、今年は事情が違うじゃないですか。

きっとそういう歓送迎会もないんですよ。そういう意味では感染症は早いとこ収束してほしいですが、こういうめんどくさい習慣はせめて今年いっぱいは全部なくなってほしいと思っています。で、結果的に六月から新しい人たちが入ってくるっていうことになったわけなんですけど、

いやーーーーーもうめんどくささと嫌という感情しかない。

もはや私、本当に会社員に向いていない。

おかげさまで一番嫌いな月が今年は6月ということになりそうです。頑張って就職活動したのでしょう、希望の会社かどうかはわかりませんが、なんとか入れました、よかったね。でもね、そこでゴールな人が多すぎる。

 

というわけで私のひねくれた性格はさておき

別の部署の部長と話をする機会があって、こんなことを言われました。

 

「きみの存在は下の子たちにとって、頼り甲斐のある先輩であることは間違いないが、脅威であることも間違いない。体の不調もなく常に元気で休まない、自分で仕事を取ってくる、指名で仕事をもらえる、営業抜きで自分で金額の話もしてこれる、なにより家庭のことを顧みないほどに仕事に熱心であるっていう完璧な仕事人間の女性。こんなの脅威でしかない。ほぼサイボーグやん」

 

そうかそうかなるほどな、と。

だから、そんなのが近くにいたらみんな尻込みしてしまう。だから若手の女子がみんな育たない。続いても、ただいるだけ。個性がない。もしかしたら個性がないように見えるだけで意外と個性がある仕事ができるのかもしれないけど、それを出し切れない。なぜなら脅威がすぐ近くにいるから。

 

そう、そうですね。

昔はそういう存在が近くにいたら、なにくそふざけんな負けるか畜生めっていう気持ちでやってきたんですけど、今の子はそうではないんだよっていう話なんですね。先輩に憧れる、先輩を追い抜いてやろう、とか、そういうのがないんですって。自分は自分で、もう自分の個性が出せないならいいやっていって辞めてしまう。それか、責任を負うのが怖くて一人で動くようになってくると辞めてしまう。このどちらかが多い印象です。

 

下の子育てようと思ったら、自分は今の部署を離れないとあかんのかもしれへんな。ま、冗談やで。っていうのが最後にかけられた言葉でしたけど、言い得て妙だなと思いました。今の子の体力・今の子の精神力、それを目安にやっていかないと、この先だれも育っていかないんじゃないか。

なんだか難しい話が出たなぁと思ってしまいました。自分がいることがいいことなのか、もしかしていることによってダメなことが起きているんじゃないか。

 

難しいなぁ。必要だけど、でもいることによってそれはそれで、って言われる存在。

どうすればいいのかよくわかりません。